Wednesday, August 30, 2006

関係からの隔絶 松本清張

 関係からの隔絶について松本清張氏がこんな文を書いておられる。

 ”多くの失踪事件というものは、家族、あるいは友だち、知人、会社関係とか、そういう周囲の関係のある人間から隔絶された瞬間から、起こるのではないかという気がする・・・”
「推理小説作法」 江戸川乱歩・松本清張共編 (2005) p.252 光文社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334739288

 一見、トートロジーのようでもあるが、非常に本質的な点にふれた、絶妙な文章である。
 いたましい事件が多い昨今、人間、特に若い人々が、社会関係に埋め込まれていることの重要性を実感する。若いかたがたにお話する機会があると、”学校や会社を簡単にやめてはいけない”と語る。(私が言うのも僭越ではあるが。)それは学校を出たら、みなさんは仕事によって社会と人々とつながっているからだよと。学校があるうちは、学校(=先生や友人)が、みなさんと社会をつないでくれる。新卒後は、仕事がみなさんと社会をつないでくれるんだよ(家族ももちろんいるけれど)と。
 分業が人々をつなぎ、社会を作ってるんだよと話す。エライ社会学者もそう書いてますよと。
 
 今夜もどこかで孤独に長い夜を送っている青年がいる。悲しむ家族がいる。心が痛む。
 昨今の事件の被害者のかたがたのご冥福を祈るとともに、どうのような社会的な埋め込み(social embeddedness) が悲しい事件、事故を少しでも減らしうるのかについて、考えている。

Tuesday, August 29, 2006

ミクシィ SNSの集客力

 日経新聞1面に ”ネット企業 世代交代の波”との記事。上場を控えてか、月間閲覧数で、ミクシィが楽天を超えた等々。3月のコンピュータ産業研究会でも、社長の笠原氏が、「閲覧数も増加しているが、特徴的なのは、閲覧者の滞在時間が長いこと」だと強調しておられた。ミクシィは、ご縁があってデータ分析させていただいたこともあり、私も長らく愛用させていただいている。
 mixi http://mixi.jp/ に限らず、SNSの集客力は、自分の友人が、誰とつながり、どのような友人をもっているのかを知ることができる点(マイミクにどういう人物が含まれているのか)にあると思われがちだが、これは誤り。今は、知人を知る機能は、二次的なものだと私は思っている。
 では、SNSがリピータを獲得し、閲覧時間を増加させるメカニズムで、もっとも重要なのは何か。
 それは、SNSと日記のコンビネーションである。単なるブログとはやや違う。
 自分の友人が、自分以外の他者には、日々、どのような姿を見せているのか、自分の知らない所で、友人がどのような社会関係を築き、そのなかで、どのような行動をしているのかを、日々、理解できることだ。ATRの湯田氏のいう「関係の地平線」の向こう側を、SNSは少しだけ私たちに知らせてくれる。関係の地平線とは、知人関係の連鎖は果てしなく広がっていくが、自分が知ることのできる範囲はきわめて限られているということだ。知人の知人の一部を知ることは可能だが、その全体を我々は把握することはできない。夫婦でさえ、親子でさえ、お互いにすべての知人を知っていることはないのだ。
 だが、私の知らない他者とあなたの関わりを、snsはリアルにうかびあがらせる。日記に書き込まれる様々な行為の記録は、その人が友人、知人に見せている様々なパーソナリティの最大公約数として集約されていく。様々な社会関係のなかで、どのように他者が生きているのか。
 知人関係と行為の記録とのコンビネーションが、社会的な広がり、時間的な広がりをもって展開するSNS。この春、学会で話を聞いたOrkut氏についてもまた、いずれ書く機会があるだろう。

Monday, August 28, 2006

関係の不在

 生産性新聞8月25日号に ”人脈のアントレプレナー”というコラム記事を書いた。ホットタイムというコーナーで、息抜きに読むような短文である。

 アントレプレナーという言葉がフランス語であると知っている人は多いが、その語源は意外と知られていない。これは、 entre なにかとなにかの間で + preneur 得る人。つまり、仲介者、媒介者である。今までになかった技術やサーヴィスと資本を結び、商品と消費者の間に入って儲けるのが起業家であるから、語源もなるほどと納得がいく。
 ネットワーク分析では、我々、分析屋は、関係のある部分よりも、むしろ、関係がない部分に注目する。関係が不在の所、ない場所を、「空隙」Structural hole という。関係のある部分ではなく、ない部分に注目し、そこを架橋することで優位性を得ることを、空隙戦略とも言う。人は自分の知人を増やしたがるが、知人と知人を結びつけるということはしたがらない。その理由はわからないではない。だが、人脈を豊かにしたければ、数の増加もいいが、人間関係の架橋を考えてみてはいかがなものか。・・・ という趣旨の文章。

 ネットワーク分析屋にとって、一番、困惑させられるのが、完全グラフだ。すべての人がすべての人とつながっている状況である。きれいではあるが、関係に散らばりがないと、説明変数を導き出せなくなる。誰と誰の間が、つながっていないのか。どの企業とどの企業にあるべき関係がないのか。関係の不在こそが利益の源泉である。禅問答のようだが、ない関係、関係の不在こそが、空隙の優位性を生み出すのだ。

 詳しくは、Ron Burt 教授の Structural Holes を読んで欲しい。(なお、翻訳本を、この秋には出せそうです)♪

Sunday, August 27, 2006

いろいろなネットワーク研究グループの夏のイベント

 ネットワーク生態学のサマースクールが8月31日から、山形県天童市で開催される。 ネットワーク生態学研究グループと称する、情報処理学会の研究グループの集まりで ある。満員御礼とのこと。 http://www.jaist.ac.jp/~yhayashi/2nd_summer.html 個人的には、ネットワーク生態学(Net Ecology)という造語は、語感に落ち着き がない感じがしないでもない。Organizational Ecology の訳語も個体群生態学、組 織生態学 いろいろな訳語があるのを思い出す。 さて、今年の二泊三日のプログラムでは、IBM東京基礎研究所の水田氏が、企業組織 ネットワークの解析とシミュレーションをなさる予定。理化研究所の増田氏のパーコ レーションについての講演もある。先端的なプログラム、楽しみである。水田氏の報 告だが、オックスフォードのSako先生(自動車研究の大家ですね)も、先月帰国なさ った際、基礎研に行かれ、この研究についてヒアリングなさったと聞いている。
 ネットワーク関連の研究会や研究グループは、「ネットワークが創造する知能研究 会」(これは日本ソフトウェア学会系)などがあり、プログラム委員などに名前が入っているだけで、あまり実働はせず、恐縮している。これらの新領域は、学際的かつ文理融合的であ り、どこまで、自然科学系、社会科学系、実学系の共通言語・文化が育つか、興味 津々である。
 工学系の集会は環境の良い場所で開催されるが、参加費が高い(ネ創知は来月末、阿寒湖 だ)。予算規模の小さい文系の研究室の学生さんにはやや厳しい。もう少し社会科学 系の参加者、アプローチが増加することを期待しているのだが。 正直、これらの会合に行くと、互いに専門用語が通じず、問題意識も異なり、(研 究のお作法も裏千家と表千家ほど違い)、苦痛なことも多い。が、あたった時に得ら れる、知的刺激はすばらしい。 さて、今年はどんな刺激に会えるか。
 なお、社会ネットワーク研究会は例年、夏はオフ。(主催者が集中執筆ブロックのため。)いつか観光地、温泉地で夜を徹してネットワークについて、語り合える会合を持ちたいと思っている。

Saturday, August 26, 2006

祝ブログ・オープン

 はじめまして。ネットワーク分析者です。この道一筋もう20年。ネットワーク分析に関する気になる話題や、研究動向などをブログにして記録していこうと思っています。よろしく。

 イラク戦争時に、SNA(scoial network analysis) がいかに活用されたかが詳しく書かれている記録がある。http://www.fas.org/irp/doddir/army/fm3-24fd.pdf. 
 これは米国陸軍の対ゲリラ戦のマニュアルで、対ゲリラ戦で重要なのは、地域住民のネットワークを日々観察し、敵、味方、血縁関係、隣人関係、学校関係、商売関係などを重層的に掘りおこし、敵のネットワークを抽出して絞り込んでいくこと。それがフセイン大統領の逮捕につながったという。pdf自体は膨大だが、最後のほうに数チャプターに記録と、用語集が載っている。
 わが師匠、バートの言葉ではないが、ネットワーク分析は、まさにレントゲン。有用で強力だが、被爆する危険もある、危険なツールである。

弊社は、政府ならびに京都府・京都市外出自粛要請に従い、 完全休業させていただいております。残念ながら実質的には 3月以降、外出自粛に従い、コンサルティング ビジネスなどは一切、おうけできない状態にあります。 ・ネットワーク分析のノウハウ、 ・企業内人事の仲介と橋渡し ...