Sunday, October 08, 2006

喋りすぎる理由

先月末、消費者行動研究学会のワークショップに講師として出かけ、気乗りしていなかったにもかかわらず、気がついたら時間がオーバーするまで喋り続けていた。その理由を考える 9/26 のブログの続きです。

  ワークショップでは、参加者全員が、自分がそれぞれ抱えているネットワークの問題を語り始め、ネットワーク的な視点では、ある種の研究課題をどう解くかといった、一種の公開個別相談が始まってしまった。これにいちいち答えているのだから、学生との講義やゼミならいざ知らず、大学人・企業の研究者というプロ相手に、これはたまらん・・・と思いきや・・・。結果は、ついついのめりこんで、延々と大議論をしてしまったのだ。 肉屋と学者の比喩を考えつつ出かけていった人間のすることではない。

 何故か、私は、人々から彼らの関与しているネットワークの話を聞かされる(聞かせていただく)はめになりやすい。勘弁してくれと思う一方で、私は人のネットワークの話を聞くのが大好きで、ついつい話を聞くと黙っていられず、質問をしたくなり、議論をしたくなる。ネットワークの話に弱いのだ。この循環にはまったとたんに、喋りすぎる。実に悪癖である。

 だが、なぜ人は私にネットワークの話をしたがり、私はネットワークについて話したくなるのだろうか?

 これは考えてみれば、簡単な話で、女性週刊誌やワイドショーが大好きなおばさんが居たとしよう。彼女は、友人知人に、テレビや雑誌で見聞きしたゴシップの話を熱心にするだろう。そしてまた、友人知人も彼女には、タレントの噂話やスキャンダルなどの話をするだろう。なぜなら彼女は「語り手以上に、熱心に」話を聞いてくれるからだ。また彼女はそこで聞いた話を他者に語り、他者もまた、彼女とゴシップネタで盛り上がる。  

 情報は、その話題を発信する人のところに自然と集まる。

 私が知っているある研究者らも、好きで好きでたまらない場所に調査に行き、質問をしそこで見聞きしたことを、別の場所に行っては喋り、またそこで調査をし、質問をし、いろいろなことを見聞きし、それをまた他所で喋る。このローテーションが蓄積になり、経験知となっている知的集団がある。
 
 知的情報や分析力の商品化は課題であるが、消費者行動研究学会は確かに勉強にはなった。

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